捨選の作法
2025-09-04
誰かは、選ぶとは他を捨てることだと口にする。
だが本当にそうだろうか。
目の前に広がる選択肢は、まだ手にしていない。
それらは「可能性」にすぎず、実在してはいない。
したがって、それを「捨てた」と言うのはおかしな話ではないか。
もともと持っていなかったものを、どうやって捨てることができるのか。
選択前に捨てる
捨てるべきものは確かにある。 それは選択する以前に持っているものである。
つまり、それは可能性ではなく、現実だ。
ここでいう現実とは、すでに手にしている安定であり、そこに絡みつく執着である。
時に、私たちは捨てなければ、新しい扉が現れないことを知っている。
選択の純度は、捨てる意志にかかっている。
能動的に手放すことが求められる。
選択後に消える
一方で、選んだ後に消えていくものがある。
それは「選ばれなかった可能性」である。
だが、それは自ら捨てたのではなく、ただ自然に消滅するものだ。
そもそも自分の所有ではなかったから、「捨てた」と呼ぶことはできない。
人は「選んだから他を失った」と錯覚する。 しかしそれは大きな勘違いであり、ただの幻影である。
失ったのではなく、ただ霧のように溶け去ったにすぎない。
選べれなかった可能性。つまり現実化しなかった未来は、選択の瞬間に消えていく。
捨てと消えの構造
選択には二つの段階がある。
- 能動的に捨てる段階、選択前に現実を捨てること。
- 自然に消える段階、選択後に可能性が消えること。
前者には意志が働き、後者には意志は介在しない。
したがって恐れるべきは「他の可能性を失うこと」ではない。
最初から持っていないものを失うことなどありえないのだから。
本当に恐れるべきは、選択に先立って捨てるべき現実を、捨てきれずにいることだ。
それは選択の純度を濁らせ、生をいつまでも曇らせる。
捨てて選ぶ
選択とは、「現実を捨てる意志」と「可能性の自然な消滅」との二段から成る。
捨てるのは一度だけ。後に消えるものを「捨てた」と錯覚してはならない。
そうすれば選択は澄みわたり、未来は確かに分かたれる。新しい世界線が始まる。
捨て、選ぶ。
それが捨選の作法である。