古典を咀嚼する
2024-01-01
数千年もの年月が経っても読み継がれている古典には何かしらの力が宿っているはずです。
そんなことを思い『論語』を読み返したのが去年でした。『新約聖書』も読もうと思いましたが、まずは自国に馴染み深いものから始めていくのが良いだろうと思い至りました。
古典に正しい読み方があるのかは知りませんが、私が感じたのは、自分なりに注釈をつけて読み解いていく必要があるということです。なぜなら解釈は本当に様々だからです。
自分のその時の感情によって、価値観によって、視点が変わります。まだまだ読み切れていない、咀嚼できていない文章が多いのですが、大学時代よりかははるかに読めてきている気はします。きっと多少なりとも経験を積むことによって、視点ががらりと変わるのでしょう。
『論語』以外にも『大学』『中庸』『孟子』などの四書を読み返したり、その他諸子百家の著書を読みました。面白いのは違う著者の本を読んでみると全く別の解釈が得られるところです。『論語』については4つほど別の本を片手に、1つの文章を読み比べたときがありましたが、違いがはっきり見え、自分の中での解釈が深まります。
時間はかかりますが、なるほど、そこにはたしかに含蓄のある言葉が広がっています。変わらない人間の心の動きが見えてくるような気がします。
古典を咀嚼することは、世間や自分の価値観を見つめ直すことに繋がるのかもしれません。未来が急速に変化する時代だからこそ、時空を超えて世や自己の価値観を見つめ直す手段を持っていたいものです。
高校時代の古典は赤点で勉強する価値がないと思っていましたが、こういった体験を通して今では考え方が180度変わりました。まだ実践したことはありませんが、自分で注釈を付けながら古典を読んでいこうと思います。