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今、無想。

2026-06-10

長年、私は完成された文章を書こうとしてきた。偉大な言葉には魂が宿っている。人間としての温かみがあり、言葉は磨き抜かれ、文脈は誰でも理解しやすいように、編集されている。出会うことは滅多にないが、読めばすぐ分かる。

そんな文章や言葉に出会うと、震える感動とともに、少しの落胆を感じる。なぜなら、私にはそんな文才もなければ、編集力もないという、なんとも面白味のない事実が浮き彫りになるからだ。完璧主義者なつもりはない。落胆があるのは、私に影響を与えてくれたことに対しての応答性を高めたいと考えているからである。

しかし、近頃は、納得のいく文章を作ろうと言葉を探しているうちに、次々と新しい考えが浮かぶ。浮かんだ考えは、たちまち別の姿になり、それが絶え間なく襲ってくる。書かないまま置いておけば、やがて失われてしまう何かがあり、逆にある時ある場所で完成させてきた文章を溜めていても、腐ってしまう。それが無数にある。

だったら、新鮮なうちに未完のまま表現するのも悪くないと思い始めたのだ。その軌跡を辿れば、ぼんやりとした輪郭が見えてくる。完成を待つあいだに、そのとき見えていたものは失われてしまうのは、大きな損失である。いや、それ以上に、今見えているものに対して申し訳が立たない。

文字は、時を超え、場所を超えるテクノロジーだ。人間も、社会も、自然も、絶えず変化し続け、それらを捉える考え方自体もまた、変化し続ける。そのなかで魂が憑依した完成された体系が、確実に存在しているとは言い難い。

むしろ、変化し続ける世界との対話を閉ざさないものほど、長く生き残るのではないだろうか。例えば、私が思うに、偉大な言葉は、誕生時点の時空にはそれほど影響力はなく、むしろ、未完の言葉が時空の変化を吸収することで、その偉大性を増幅させていく。これはただ一人の観察に過ぎないのだが、今の私には、そのように見えている。ありのまま観察し、今見えているものを残す、まだ名づけられないものを残す。それは答えではないが、未完の痕跡ではある。

そう考えると、この場所で何をしたいのかも少し見えてくる。この場所では、未完のまま実験を続けたい。数年後には間違っているかもしれない。見返せば恥ずかしくなるかもしれない。それでも書く。書くこともまた、一つの実験である。私は実験が大好きなのだ。

物理世界で行う実験も好きだし、思考の中で行う実験も好きだ。しかし、後者は前者から切り離されて存在するものではない。現実世界で観察したこと、手を動かして作ったもの、失敗したこと、そこから得られた感覚を基とする。空想はいつだって現実から始まる。

未来のため、自分のためと言えばそうなのかもしれない。しかし、それ以上に、見えてしまったことを表現する責任を果たしたい。今無想とは、今の無想であり、無相であり、夢想でもある。技術、文化、人間、社会、文明が交わる場所から世界を観察し、その過程を記す庭のような場所である。