2026-06-08
長年、完成された文章を書こうとしてきた。
偉大な言葉には、考え抜かれた魂がある。
人間としての温かみがあり、言葉が磨かれ、文脈が編集されている。
しかし、私にはそんな文才もなければ、編集の力も足りていない。
そうなると、言葉による表現を探しているうちに、次々と新しい考えが浮かぶ。
そして、浮かんだ考えは、たちまち別の姿になる。
書かないまま置いておけば、やがて失われてしまう何かがある。 逆に完成させようと溜めていても、腐ってしまう何かがある。
だったら、新鮮なうちに未完のまま表現するのも悪くないと思い始めた。
その軌跡を辿れば、ぼんやりとした輪郭が見えてくる。
完成を待つあいだに、そのとき見えていたものは失われてしまうのは、大きな損失に思える。
いや、それ以上に、今見えているものに対して申し訳が立たないのである。
文字は、時を超え、場所を超えるテクノロジーである。
人間も、社会も、自然も、絶えず変化し続ける。
変化し続ける世界を捉える考え方もまた、変化し続ける。
完成された体系など、おそらく存在しない。
できるのは、その変化の過程をありのまま観察し、世界の何かを見抜き、学び続けることだけである。だから私は残す。
「Imamuso」は、その流転の過程を残していくための実験場である。
今見えているものを残す。まだ名づけられないものを残す。
数年後には間違っているかもしれない。見返せば恥ずかしくなるかもしれない。
それでも書く。
未来のためではない。自分のためではない。 今という瞬間の学びを失わないためでもない。
見えてしまったものには、責任があるというだけだ。
「Imamuso」は、無想であり、無相であり、夢想でもある。 固定された答えを求めるのではなく、世界を観察し続けるための態度。
技術、文化、人間、社会、文明が交わる園である。